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商品概要
序
プロローグ シエラレオネの平均寿命より短い企業の寿命
◆会社の設備、ハードに関する死亡フラグ
死亡フラグ1.活気のある社内はいつも雑然としています
死亡フラグ2.古いパソコンを大事に使っています
死亡フラグ3.豪華で立派な本社ビルが出来上がりました
◆経営陣や上司、組織の状況に関する死亡フラグ
死亡フラグ4.昔の苦労話をよく聞かされます
死亡フラグ5.気合、根性、精神論による業務上の指示が行われます
死亡フラグ6.社長は男気にあふれる方で、「プライドとか恥とかを忘れたら人間として終わりだ」とおっしゃいます
死亡フラグ7.管理部門が貧弱で、法務部門はありませんが、営業部門はパワフルです
◆取引先や事業の方向性に関する死亡フラグ
死亡フラグ8. 業界内は円満で、同業者同士仲良くお付き合いさせていただいています
死亡フラグ9. 取引先は、官庁や大企業といったところで、安泰です
死亡フラグ10.既存事業は苦戦していますが、M&AとかEBITDAとかカッコイイ外来語が飛びかったり、
国際進出とか大きなプロジェクトの話で盛り上がっています
エピローグ "ご臨終間際の企業"とのつきあい方
目次
「勤めている会社の健全性は?」「どんな会社を選べばいい?」
企業経営者はもちろん、従業員、現在就職活動中の学生のあなたへ。
倒産する可能性が高い会社には共通したダメな特徴があります。
経営コンサルタント・国際弁護士が、そのようなリスクの高い会社の見極め方を
シャープな切り口で解説します。
2015年7月1日刊行
ヤヴァイ会社の死亡フラグ10
(ヤバイ会社の死亡フラグ10)
~本の中身を一部ご紹介~
<P32~P33 プロローグより>
●株式会社には責任者などおりません
企業不祥事などが発覚すると、マスコミなどはこぞって
「企業はきっちり責任を自覚せよ」
「経営者は責任を免れない」
「株主責任を果たすべき」
などと報道します。
しかしながら、株式会社には、法理論上、責任者など全くおりません。
と言いますか、株式会社制度自体が、そもそも
「誰も責任を取ることなく、好き勝手やりたい放題して、金もうけができ、もうかったら分け前がもらえるオイシイ仕組み」
として誕生したものなのです。
すなわち、株式会社制度の本質上、関係者はやばくなったら逃げ出せるように設計されているのです。
<P39~P42 プロローグより>
株式会社は「法人」の代表選手ですが、法務局備え置きの登記簿上でしか確認できない幽霊のような存在に過ぎず、お情けで法律上の人格を特別に認めてあげているようなものです。
ちなみに、そもそも「法人」とは、フツーの人間と違い、
「法律上のフィクションによって、人として扱うバーチャル人間」
のことを言います。
この「法人」という概念ですが、よく聞く言葉ですが、実は全く理解できない法律概念の一つと思われますので、少しこの「法人」制度について解説いたします。
もっとも、身近でわかりやすい例で申しますと、アイドルグループとかプロスポーツチームとか野球球団とかの集団に仮想人格を与えて、あたかも人間扱いするような制度を、「法人制度」ということができます。
アイドルグループを例にとってさらに説明を進めます。
昭和の時代、「少しばかり歌と踊りのできる、〝顔面偏差値″の高い青少年を偶像(アイドル)に仕立てて、その偶像を熱心に崇拝するファンやオタクたちから小銭を巻き上げるエンターテイメントビジネス、すなわちアイドルビジネス、が隆盛を極めました。
ところが、このアイドルビジネスを展開する際、最大のリスクは、
ギャランティの多寡でもめたり、
不純異性交遊とか喫煙・飲酒とかの不祥事が発覚したり、
当該アイドルが突然「いい加減疲れたので、フツーの女の子に戻って、フツーの生活をしたい」
と言い出したり、
といった、アイドル個人にまつわる割とつまんない都合で、多額のプロモーション投資などをしたにもかかわらず、投資が回収できなかったり、更なるビジネスチャンスをフイにさせられる危険が常に存在することでした。
要するに、「アイドルの単体売り」のビジネスモデルは、アイドル個人の属人性が顕著のため、ビジネスにゴーイングコンサーン(事業が永遠に存続するという理論的前提)が働かない、というリスクがあったのです。
そこで、21世紀に入ったあたりから、アイドルビジネスにも「法人化」(法律上正確な意味における法人ではありませんが、グループそのものを、個人と離れて「一個の仮想人格」として想定し、アイドルビジネス展開上「アイコン」として使う、という程度の意味です)の波が到来し
ました。すなわち、
「ホニャララ娘。」や
「チョメチョメチョメ48」
のような、
「構成員人格とは離れた集団そのものを、個々のアイドルとは別の『アイドル』人格として、金儲けの道具にすること」
が考えられるようになりました。
<P48~P49 プロローグより>
銀行はバカではありません。
というか、そこらへんの事業会社の社長より、しびれるくらい怜悧で優秀です。
銀行員は、
「株式会社=有限責任=無責任」
という仕組みをきちんと理解しております。
資本主義社会で最も優秀で、狡猾で、猜疑心が強いプレーヤーである銀行は、無責任な連中にカネを貸すことはしません。
そこで、銀行は、株式会社がつぶれて「責任者不在」の状況になったときを想定し、社長とかオーナーから連帯保証を取り付けてからカネを貸すのです。
であるがゆえ、中小企業において会社がつぶれたら、社長「個人」とのかねてからの約束に基づき、社長自身が連帯保証責任を負わされることになります。
<P83~P86 死亡フラグ2より>
●情報弱者企業はICT導入においても食い物にされる
なお、情報弱者の企業は、ICT導入で躓つまずいてしまい、そこから企業がおかしくなってしまうこともあるので、要注意です。
日本の多くの企業において、ICT導入で大失敗してしまう最大の原因は、〝要件定義″と呼ばれる作業ができないからです。
〝要件定義″とは、システム開発において、ユーザーが、どのような機能を求めているのかを明確にする作業のことです。
そして、通常、この〝要件定義″作業は、ベンダー側とユーザー側の双方の協力によって(といっても実際は、ベンダー側が主導しますが)行われます。
しかし、これも考えてみればおかしな話です。
たとえば、普通の知的水準の方であれば、食事をしたいとき、「どんな食事を、いくらくらいで、どんなお店で食べたいか」ということを明確に定義することはできるはずです。
もし、毎度毎度の食事で、
「『どんな食事を、いくらくらいで、どんなお店で食べたいか』が全くわからないので、この点いちいち誰かに決めてもらわなければならない」
とすれば、その方の認知レベルは相当問題がある状態であり、どこか適切な施設で暮らした方がいいかもしれません。
要件定義ができない企業というのは、まさしくこれと同じで、要するに
「自分たちは、一体、何のために、どのようなシステムを、どのくらいで購入すべきかわからないので、教えてくれ」
と言っているのです。
そして、当該企業は
「何のために、どのようなシステムを、どのくらいで購入すべきか」
を教えてもらうために、システムを販売する会社に何百万何千万円単位のお金を平気で払っています。
「お金はあるが、何がほしいかわからないので、それも含めて教えてくれ。教えてくれたらそれを買う」
という人間が店先に現れたとしましょう。
これは、一般的に
「カモが、ネギと鍋と出汁(ダシ)を背負ってやってきた」
と言われる現象であり、「食い物にするな」という方が無理かもしれません。
かくして、ICT導入に際し、情報弱者の中小企業が徹底的にボられるケースが多発するのです。
<P94~P95 死亡フラグ3より>
本社社屋は、事業という戦争において指揮命令を司るところであり、機能性と効率性が追求されるべきであり、何よりも私的空間と決別していなければなりません。
たとえば、こんな例を考えてみましょう。
ある高校生の勉強部屋を見ると、アイドルの写真やスポーツ選手のポスターがベタベタ貼ってあり、また、マンガの本やプラモデルなど成績や勉強に貢献しないものが目立っている。
この高校生は学業において優秀な成績を修めているでしょうか?
無論、そういう環境でも勉強が出来て成績も優秀な高校生が絶対いないというわけではないかもしれません。
しかし、現実には、「そういう環境で勉強している高校生は、成績もやっぱり残念な結果になっている」ということの方が圧倒的に多いと思われます。
要するに、社長室に「効率的な事業運営を行うための指揮所」としてふさわしくないような私物がやたらと置いてある企業は、「勉強のできない高校生の部屋」と同じで、
「そういう環境においてまともな経営ができているか、非常に疑わしい」
ということになるのです。
<P100~P101 死亡フラグ4より>
●過去を振り返りたがる企業の未来
倒産に瀕した企業などでは、盛んに高度成長時代の思い出が語られます。
曰く
「昔は全員残業してフル稼働しても生産が追いつかなかった」
「ちょっと前は、人がたくさんいたんだよな」
「あんときは、どんどん設備を更新していたよなあ」
「昭和時代は、たくさんの下請けを使っていたんだよ」
「高度成長期は、メーカー主導で価格交渉していたんだよなあ」
などなど。
<P107~P108 死亡フラグ5より>
●気合による営業が効果的だった時代
30年ほど前までは米ソが冷戦真っ最中でした。
日本は、「フツーのものをフツーの値段でフツーに作れる」という稀有な工業国家として、「世界の工場」の地位を築き上げました。
経済はインフレーション傾向にあり、作っても作ってもモノが不足し、作ればすべてモノが売れる時代でした。
現在のように、マーケティングだの営業戦略だの細かいことをグダグダ考えなくても、気合を入れれば、なんとか需要家がみつかり、あとは押しの一手で在庫を持ってもらうことができる、そんな時代でした。
そういう時代においては、能書きたれるよりも行動こそが重要で、まさしく営業は気合であり、根性だったのです。
この時代、売上とは、「営業マンの数×一人当たり売上」で計算されました。
いかに多くの営業マンを採用するか、そして、いかに営業マンを働かせるか、が重要だったのです。
<P123~P124 死亡フラグ6より>
今の時代、「会社はファミリー、社員は家族、みんな仲良し。ウチの家に限って、非常識な人間はおりません。細かいルールや堅苦しい誓約書など一切不要です。」なんてやっている企業は、内側から崩壊します。
企業機密をきちんと管理しておかないと、社内からどんどん社外流出してしまいます。
労働時間管理や残業処理をいい加減にしていると社内の従業員から労働基準監督署に通報されてペナルティ込みの多額の残業代の精算を求められます。
さらには、下手に首を切ろうものなら、たちまち合同労組に駆け込まれて赤旗が立ちます。
<P140~P141 死亡フラグ7より>
●昭和の時代のコンプライアンス
ところで、昭和の時代においてもそれなりに企業不祥事が発生し報道されていましたが、「コンプライアンス」という言葉が取り沙汰されることはありませんでした。
昭和の時代においては、企業にとっては、監督官庁こそが、法制定者であり、法執行者であり、紛争解決機関であり、神様であったのです。
監督官庁と緊密な関係を保っていれば、そもそも違反自体をガミガミ指摘されることはなかったのです。
万が一違反が明るみになっても、監督官庁が「何とかしてくれる」という状況でした。
企業の「コンプライアンス戦略」とは、法令や規制環境を調査することでも、法令遵守を徹底させるための教育体制やマニュアルを整備することでも、困った問題があれば弁護士に相談することでもありません。
前世紀における企業においては、「何でも監督官庁によく相談すること」こそが「コンプライアンス」だったのです。
<P159~P160 死亡フラグ8より>
企業を経営していると、知人や友人から「金を貸してくれ」とか「保証人になってくれ」という依頼が舞い込むことがよくあります。
そして、そのような依頼に必ずついてくるのは、「絶対迷惑をかけないから」という言葉です。
しかし、冷静に考えると、事業をやっている会社に金を借りに来たり、保証人を依頼しに来たりする、というのは、銀行が見放したからであり、銀行が見放すのは、すでに相当程度銀行に迷惑をかけているからです。
人に迷惑を被らせている人間は、たいてい、迷惑を被らせることに鈍感になっています。
そして、そういう人間に限って、眉一つ動かさず「絶対迷惑をかけないから」というウソを平然と言えるようになるのです。
いずれにせよ、こういう人間の話をまともに取り合うと、間違いなく身を滅ぼします。
<P165~P166 死亡フラグ9より>
このような環境の変化を受けて、日本の多くの企業は、部品や関連製品の調達コストの合理化を常に検討しています。
取引先に対してコストを下げる圧力を強めるほか、調達先自体を多様化し、互いに競争させるような施策を取り始めています。
このような状況下においては、「取引先が大手一社」ということは、将来の安全を保障するものではなく、逆に、「その大手に切られた場合、たちまち経営不安に陥る」という意味で、きわめて危険な状況と評価できるのです。
下請けや系列の立場でありながら、生き残りを真剣に考えている企業は、このような変化を敏感に感じ取り、新たな仕入れ先を開拓したり、培った技術でまったく新しい製品を作る可能性を検討し始めています。
逆に、こういう状況下で「取引先が大手だから安泰」などと考える企業は、認識不足が甚だしいというほかなく、こういうおめでたい企業の将来は芳しいとは言えません。
<P175 死亡フラグ9より>
今後は、ネット取引の拡大とともに、流通業がますますシビアに整理合理化されていくことになります。
したがって、「何の特徴もなく、単に特定のメーカーと取引がある、あるいは特定の小売業者の口座を有しているだけで、商品ないし伝票を右から左に流しているだけ」という類の流通業はある日突然姿を消す可能性が高いと言えます。
<P180~181 死亡フラグ10より>
M&Aという手段ないし方法は、まともな使われ方をする場合もありますが、現在においては、ほとんどの場合、倒産処理方法の一つとして機能しています。
ある企業が倒産しそうになっており、完全に死ぬ前にどこかに安値で引き取ってもらいたい。
「身売り」というと聞こえが悪いし、社長や会長が納得しないし、話が進まない。じゃあ、「M&A」というハイカラな言葉でごまかしてしまえ。
行き詰まっている企業にM&A話が出てくるとすれば、こんな状況が考えられます。
とは言え、「便所」のことを「お手洗い」と言い換えたのと同様で、品のいい言葉を使ったからといって、便所で行う行為が、華麗で美しいものになるわけではありません。
いろいろ外来語でごまかそうとしても、やっていることの本質は、「身売り」を前提とした買いたたきと、買いたたきを前提とした実地調査です。
買いたたこうとしている側は、対象企業の社長が「バカで舞い上がり易いタイプ」であると見ると、華麗な言葉で、当該社長が調子に乗るようにし向けていきます。
そして、バカが舞い上がっている間に隙をついて、情報収集し、値踏みし、選択肢を巧妙に減らしていき、精神的に支配していきます。
そして、にっちもさっちもいかなくしてから、徹底的に買いたたき、身ぐるみ剥ぎにかかるのです。
<P195~196 死亡フラグ10より>
商品を売る側は、いかにも「節税プランは完璧です」ということを、セールストークで謳います。
ですが、売る側の金融機関は、売った後に顧客がどんな税務トラブルを抱えたとしても、「損金計上できると判断するか、損金計上できると判断するとして、実際損金計上するかどうかなどは、すべて自己責任だから、関知しない」という態度を取るものです(もちろん、同情はしてくれたり、紛争対策のための税理士や弁護士を紹介してくれることはあっても、決して手数料を返したりはしてくれません)。
「いい話にはウラがある」という警句は、実に的を得たものです。
たとえ、売り込む側が、仕立てのいいスーツを着て、高価なネクタイをぶら下げ、学歴が高く、名の通った金融機関に勤めていても、セールストークを鵜呑みにするととんでもないトラブルに巻き込まれる可能性があるのです。
外来語や専門用語が散りばめられ、横文字で大層な商品名が書いてあったとしても、会社が購入するのは、シンプルに言えば「税務当局とのケンカの種」に過ぎません。
フツーに商売するのですら困難な時代に、税務当局と大喧嘩して、企業がまともに生き残れるほど甘くはありません。
一般的に申し上げて、節税にエネルギーを使う企業は、健全な成長・発展してきちんと納税する企業との比較において、短命と言えます。
<P201~204 死亡フラグ10より>
しかし、国内で低迷している会社が、
「新聞で読んだが、中国ではチャンスがある」
「週刊ホニャララでやっていたが、今は、ベトナム進出がトレンドらしいぞ」
「BSのビジネスニュースでは、ミャンマーが熱い、と言っていたぞ」
という程度のアバウトな考えで、適当に海外進出して成功する可能性はほぼゼロに近いと言えます。
こういう知的水準に問題のある会社が、中途半端に国際進出もどきをおっぱじめても、儲かるのは、現地のコーディネーターやコンサルティング会社や旅行関連企業(航空会社やホテル)だけで、たいていはお金と時間と労力の無駄に終わってしまいます。
フィージビリティスタディ段階で自らの無能を悟り、進出をあきらめれてくれれば、損害は軽微なもので済みます。
しかし、頭の悪い人間ほど自らの無能を知らないもので、実際は、多くの中小企業が、実に“テキトーなノリ”で、いきなり、現地法人を作ってしまいます。
現地法人を作るということは、現地の言語に基づき、現地の会計基準と現地の法律にしたがった法的書類と会計書類と税務申告が必要ということを意味しています。
しかも、この煩雑でコストのかかる手続きは、会社を解散して清算するまで、未来永劫続きます。
これだけですでに莫大な費用と手間とエネルギーを消耗しますが、投下した多額の投資を回収するには、相当大きなボリュームの売り上げを立てる必要があります。
無論、ルイ・ヴィトンやエルメスやブルガリなど、すでに世界的ブランドとして知名度を確立している商品であれば、「進出後短期間に相当大きなボリュームの売り上げを立てる」ということも合理的に期待できます。
しかしながら、
「『日本国内ですら知名度がなく、誰も買ってくれないような商品』しか作っていないような企業が、言語も文化も違う国の市場でいきなり知名度を獲得し、バカ売れして大成功する」
というのはまず不可能です。
<P215~P218 エピローグより>
●バカな会社やダメな会社に入っても何も得るものなし
ダメな会社やバカな会社に入っても、
「探せばどこかいいところがあるはずだ」
「ダメなところをそのまましないようにすれば自分としても成長の糧を得られる」
とポジティブな考え方をする人がいます。
その際、自分を納得させるために、「反面教師」という言葉が使われます。
曰く、「反面教師という言葉があるじゃないか。この会社の経営のあり方を反面教師として、自分は
成長するぞ」と。
一般に、「反面教師」とは、「悪い手本となってくれる事柄や人物」のことを指すと考えられてお
り、「人のふり見て、我がふり直せ」と同じ意味で使われることが多く、故事成語のように思われ
ています。
しかしながら、「反面教師」という言葉は、古来の諺でも何でもなく、第二次世界大戦後、毛沢
東によって開発された陰惨なリンチ手法を指すもので、その中に肯定的な意味は全くありません。
すなわち、毛沢東はある組織に、能力ないし思想に欠陥がある者がいた場合、あえて放逐せず、仕事や権限や尊厳を一切奪った状態で飼い殺しにし、その酷い状況で晒さらしもの者にすることにより、制
裁を加えるとともに、同様の人間の発生や増殖を防ぐという規律手段を用いたそうです。
そして、そのリンチの対象となった人物を指して「反面教師」と言ったそうです。
この言葉の本来の意味のとおり、「反面教師」は、リンチのターゲットであり、ここから学ぶも
のは一つもなく、また、学んではいけないものです。
たとえば、ここに、東大を強く志望する、開成中学受験に合格した少年がいたとしましょう。
この少年を、あえて、「教師も生徒もやる気のない、田舎のすさんだ公立中学」に放り込んでしま
います。
この場合、少年は、周囲の人間や環境を「反面教師」として学んで、人として大きく成長して、無事東大に合格してくれるでしょうか。
逆ですね。
おそらく、そのまま開成に入って中高六年間を過ごせば、現役で東大に合格できたであろう少年
は、一生東大に合格できないで終わることになるでしょう。
<P226~P228 エピローグより>
●死亡フラグが多数立つ会社との縁の切り方
以上を踏まえ、自分の会社に将来性がなく、かつ新しいキャリア形成に向けた具体的かつ現実的な可能性を見つけることができ、自分のより大きな成長のために現在の勤め先を辞める場合の具体的方法についても少し述べておきます。
会社側が従業員を解雇する場合には、法律上、大きな制約が課せられています。
筆者が、企業側の顧問弁護士として、クライアントである企業に解雇事件において助言をする際、
「『結婚は自由だが、離婚は不自由』と同じで、法律上『採用は自由だが、解雇は不自由』です。
これを前提に事件の処理を考えましょう」
と必ず前置きをします。
しかしながら、これは、企業側が従業員を無理やり辞めさせる場合の話であって、従業員側が企業を見限るには、法律上何の制約もありません。
無論、社会人として、「上司に早めに相談する、引き継ぎをきっちりやる、その他迷惑がかからないように配慮する」といったことは推奨されます。
ですが、これらも所詮、礼儀・道徳のレベルの話です。
法律上は、「従業員は辞めたいときに辞められる」というのが大原則です。
企業や上司が、「人手不足だから困るので辞めないでほしい」、「育成責任を問われるから、私が異動になるまで辞めるな」と退職に反対することがあります。
酷い場合、陰湿なイジメや有形無形の暴力を使って「辞めるな」と脅す場合もあるようです。
しかしながら、従業員がこのような横暴な要求に従う義務は一切ありません。
余りに酷い場合は、労働基準監督署や弁護士に相談すべきですが、いずれにせよ、こういう専門家あるいは専門機関の手にかかれば、会社の妨害もすぐに止まります。